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1871件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-05-20 第198回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号

それに対して、当時、改進党の苫米地義三さんが、これは憲法違反だと訴えたんですけれども、最高裁憲法の是非を判断する立場にないといって、それで苫米地さんは、あと四カ月任期があったから歳費を四カ月損したと損害賠償を提起したんです。そして、何と一審は苫米地さん勝訴なんですよ、解散無効判決が出た。直ちに政府控訴をしまして、逆転敗訴になって。

谷田川元

2019-04-23 第198回国会 衆議院 本会議 第20号

衆議院解散について、昭和二十七年八月に吉田内閣が断行したいわゆる抜き打ち解散憲法違反であると当時改進党の議員であった苫米地義三氏が提訴し、一審では、解散は無効との判決が下されました。ところが、最終的に最高裁判決で、政治性の高い国家統治行為であるので司法の審査になじまないという、いわゆる統治行為論で棄却されてしまいました。  

谷田川元

2017-04-05 第193回国会 衆議院 経済産業委員会 第5号

では、日本原子力政策流れを見ていくと、一九五四年三月に、当時、改進党、どこかで聞いたような名前で、民進党なんですけれども、所属していた中曽根元総理らの求めで原子力研究開発予算国会に提出されたことが起点とされている、一九五五年十二月十九日、原子力基本法が成立して、原子力利用の大綱が定められたとあります。これで間違いないか、一度、確認だけしたいんですけれども。

鈴木義弘

2013-11-05 第185回国会 衆議院 国家安全保障に関する特別委員会 第6号

そして、最初だったからなんでしょうけれども、会議メンバーのところで、改進党、服部さんという旧軍人の方がおられまして、そういう人たちを入れろとかいうので相当もめたんです。いろいろな経緯があってきているんですよね。  それで、今度大事なのは、総合安全保障関係閣僚会議ですけれども、鈴木善幸総理です。非常にごたごたがあったんです。

篠原孝

2007-03-28 第166回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

さらに、このときの議論の中で、これは、改進党というのがそのときあったんですね、その後、合流しているわけですが、改進党の中村又一さんという方の表現の中で、さらに一言いたしますならば、戦犯者に対する裁判は、国内犯の場合と異なって、いわゆる控訴上告等審級制度による利益も全く受けておらず、一審即判決確定となって服役したものであって、気の毒の至りでございます。

松原仁

2006-12-12 第165回国会 参議院 外交防衛委員会 第9号

だから、当時、改進党が防衛省設置要綱案を作成しましたけれども、結局、防衛庁設置法となったわけであります。  内閣の首長としての内閣総理大臣実力組織としての自衛隊の行動に関する指揮権を持つ、しかし、自衛隊法七条は憲法七十二条の確認規定であると解し、いわゆる統帥権的な創設規定ではないと解します。

水島朝穂

2000-04-27 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第8号

そのもとで、一九五二年二月には改進党が、自衛軍創設占領法令憲法を含む諸制度の全面的再検討を掲げるようになりました。鳩山一郎氏は改憲、再軍備を主張し、五三年には自由党内に憲法調査会がつくられ、岸信介氏が会長になります。そして、自主憲法期成議員同盟が結成された。この流れの中で、保守合同自由民主党が結成されて、自主憲法制定の動きが出てきたわけであります。

東中光雄

2000-03-09 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第4号

そして自衛隊憲法九条とが最大の問題になり、自由党改進党はこの五四年を前後して憲法改正に踏み切ります。  そういう中で、五四年の三月に自由党の中に憲法調査会がつくられ、七月に松本さんが先ほどのような、体験の中身はまた後でお話ししますが、GHQとの交渉の経過をお話しするということになります。  

古関彰一

1999-12-14 第146回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第3号

その後、自由民権運動のときになりますと、自由党とか立憲改進党が出まして、憲法をつくったり、国会を開設するために、民意を用いて、それを政府や行政に圧力として行使をしてきたわけでございますが、そういうときに、政治団体とか政党の集団が自然発生的に出てきていると思いますね。  

中谷元

1999-07-02 第145回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第9号

○国務大臣(野呂田芳成君) 今、委員が御指摘なさいましたとおり、昭和二十八年の末ごろから二十九年の初めごろにかけまして、防衛庁前身であります保安庁の改組についての議論政治の場でなされた際に、当時の与党自由党改進党、日本自由党でありましたが、改進党が中心になりまして保安庁を国防省または防衛省とする提案が出されたわけでありますが、二十九年一月の与党間の調整の結果、省とする提案は取り下げられまして

野呂田芳成

1995-11-08 第134回国会 衆議院 法務委員会 第3号

左藤委員 そこで破壊活動防止法ですけれども、これは昭和二十七年に制定された法律であって、私も、制定されましたときの国会への衆参両院委員長報告書とかそういったものを見ておりましたら、これについては相当いろいろな論議があって、そしてその結果、当時の自由党、それから改進党とあったわけですが、改進党からとかいろいろなことであって、最終的には、修正案が出されたりいろいろな努力をされて、そして当時の自由党

左藤恵

1992-06-03 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第16号

鶴見祐輔という人は、改進党から衆議院及び参議院に出られた方で、厚生大臣のポストも占められた方であります。のみならず、彼は本当に日本を代表する世界的な視野と経験を持った文化人でもあられました。新渡戸稲造さんの高弟でございましたし、また後藤新平さんの女婿でもあった。そして今、日本を代表する知識人である鶴見和子俊輔兄弟の父上にも当たられる。松本重治国際文化会館理事長の兄弟子でもあられた。

國弘正雄

1992-05-29 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第13号

これは現在も廃止されたわけではありませんので有効だと思うわけでありますが、その中で、鶴見祐輔さんという当時の改進党所属参議院議員の方でありますが、この提案についての趣旨説明をやっております。その趣旨説明を見ますと、こういうことをおっしゃっているんですね。  故に我が国のごとき憲法を有する国におきましては、これを厳格に具体的に一定しておく必要が痛切であると思うのであります。

大塚勝

1991-12-18 第122回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第5号

これは一九五四年の自衛隊の発足に際しての本院の決議でもそのことを懸念して決議が行われた、こういうふうになっているわけでありまして、試みにその決議趣旨説明をされている当時の改進党、後に自由民主党に合流されたわけでありますけれども、その改進党の鶴見祐輔議員趣旨説明の中でどういうふうに述べているかといいますと、「我が国の場合には、自衛とは海外に出動しないということでなければなりません。

野田哲

1989-10-13 第116回国会 衆議院 予算委員会 第3号

そのときの政治情勢というのは、いわゆる自由民権派流れをくむ立憲自由党立憲改進党、自由党改進党といっていたこの勢力が常に衆議院の過半数を占めてまいりました。そうして、ことごとく藩閥政権と対立をいたしておったわけであります。したがって、解散に次ぐ解散でありまして、何回も選挙をやりました。

森清